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関西在住の元大学生

『科学者たちはなにを考えてきたか-見えてくる科学の歴史-』小谷太郎

 

科学者たちはなにを考えてきたか (BERET SCIENCE)

科学者たちはなにを考えてきたか (BERET SCIENCE)

 

  珍しく自然科学っぽい本。けれど、自然科学の発展を歴史的にたどった本なので、そんなに自然科学科学していない。数式なんかほとんど出てこず、非常によみやすい。一方で、アインシュタイン相対性理論ポアンカレのカオス理論等々、科学の発展に大きく貢献したような定理が掲載されており、ここの解説がないがしろにされすぎておらず、ほどよく頭を使わせるものであった。つまり、簡単すぎることもなく、難しすぎることもなくといった感じである。もっと詳細にいうなら全くの中間ではなく、簡単寄りではあるが。

 良かったのが、天才科学者達が中心軸となって話が進んでいくのではなく、あくまで科学の発展が軸となっていることである。科学者達の詳細な生涯も気にはなるが、科学が古代ギリシャから現在に至るまでどこまで規模が広がったのかの方が気になっていたため、自分には合っていたのだと思う。このような内容の本であるから、同じ科学者でも、時系列順にただ並紹介しているだけでなく、科学の発展段階に応じて前ページに紹介した科学者がまた出てくることがある。あくまで、科学発展が中心軸に据えられていることがうかがえる。
意外な収穫だったのが、サークルの研究に役立ちそうな部分があったことだ。フォイエルバッハ論や社会科学における認識の客観性などを読んでいるとたびたび出てくるのが、唯物論だとか観念論、○○的自然観などよく分からないワードである。こうしたワードに出会う度に調べてはみるのだが、いまいちしっくりきてはいなかった。今回、本書では唯物論、機械論的自然観について記述があった。機械論的自然観、唯物論は似たような概念で、科学と理性に全幅の信頼をおき、それを使ってなんでも解いていけるのだというものらしい。霊魂や精神などというものを認めず、生命は全て原子から構成されており、神秘的な物は存在しえないといった主張を含む。そして機械論的自然観については、現在起きている事象は、過去の原子の配列、運動の結果であり、あらかじめ決められていたことであるといった主張を含む。よってそれが全てわかる知性があれば、原理的に過去も未来も計算によって分かってしまうといったものである。ちなみにこの知性を、ラプラスの魔と呼ばれているらしい。
 こうした思想が出てきたのには、曖昧で間違いだらけであったアリストテレスの科学からニュートンの美しく単純な数式であらわされた科学が台頭したことにある。アリストテレスが説明できない現実を、ニュートンは華麗な数式をもってして解決してしまい、それに科学者たちは世界を数式で読み解いていけるといった自信を持ってしまったからだそう。
 こうした背景を踏まえて、機械論的自然観、唯物論といったワードを捉えるととても自分の中で腑におちた気がした。どうして昔調べてた時は分からなかったのだろうといった思いである。きちんと背景を踏まえたうえでワードを捉えるというのは、自分の中に網を作って、それにどんどん絡めていくということなのだろうと思う。自分は世界史も日本史もやっていないため、その辺がコンプレックスになりつつある。せめてせめて、現代日本の経済史くらいは抑えておかなければ経済学部生としても社会科学サークル員としても今後支障が出る気がする。