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関西在住の元大学生

英語勉強総括(7月17日)

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◯伸ばしたい力
・9割型聞けるようになる能力
・ビジネス雑誌を読めるリーディング力

現状
・究極の英単語LV.3 半分終了
最近は若干サボり気味。しかし、今までに比べコンスタントにやれている。

方法
最初は紙面で単語を速攻で認識→アプリで文全体の意味合いを把握→①空いた時間は音声でひたすら復習機会を増やす②単語帳をやる時間ではアプリで復習 →①②をひたすら繰り返す

原因 なぜコンスタントに出来たのか?
この方法が完全にハマった。携帯アプリ版を利用することで、どこでも気軽にやれるようになったことが大きいのかと思われる。携帯だと軽いので寝っ転がりながらでも電車で立ちながらでも出来る。後は、紙面やアプリを見ながら単語記憶、復習はかなりストレスがかかるが、音声ではほぼストレスがかからないということが、コンスタントにやれている理由だろう。

成果
TIME誌やCNN等を読んでいるが、そこそここの単語帳の単語に出会っており、リーディング力は広がったかと思う

問題点
まぁ、厳しいようだけど更にコンスタントにやれればもっといいかな。後は、音声以外での復習をしっかりやること!

・多読(TIME,JAPAN times,wired,ladderシリーズ)
最近急にはまりだした多読。twitterを利用して行っているため、空いた時間でコンスタントに出来た。そして、なんとなーく読めるようになってきているのは感動もの。恐らく単語帳のおかげであろう。
 
成果
たくさん英語に触れてきたので、英単語への意味付けが出来てきたと思います。わざわざ英語から日本語に直さなくても、イメージがわいたりするなど。
 
問題点
①単語力不足:読めるようになってきたとはいっても、まだまだ知らない単語に出会う率が高すぎる。もう1パラグラフに三つ以上出てきた時点で、読む気を失くす。てか、読めない。分からないもん。

②読解力不足:単語知ってるのに分からない現象が多々起こるようになってきた。基本的には早く、ざっくりと読むってのをやってきたんだけど、それにしても分からない部分が出てきた。しかも、それは早く読んでるからっていう問題じゃなくって、ゆっくり読んでも分かんないんだよねぇ。これはまずい、ということで何か対策をする必要があります。他にも、時制とかを除外して読んでいる気がしている。過去形だろうと、現在形だろうと、現在完了だろうと、無視して読んでしまっている気がしてならない。もしそうであれば、読み取っている概念はかなり貧相なものになっているだろう。

・リスニング
何もやってない…。しいて言えば、単語帳の音声を聞いているぐらいか…
最近TEDを聞いたけど、一切分からなかった。ショックすぎた

原因 なぜ出来なかったか
単純に怠惰の結果です。単語帳と多読で最早精根尽き果ててました。

問題点 
まず、明確にやることを決めてなかったことが挙げられるだろう。後、これからリスニングを伸ばしていく上で重要になることは、負荷をかけすぎないことだろう。これから、単語も多読(精読?)も続けていくし、就職関連の資格取得もしていかなくてはならない。なので、あまりにも負荷が大きすぎることは避けることが、継続的にやっていく上では重要だろう。

これから
・リスニング力向上(音読パッケージ)
使用教材:速読速聴core2duo

方法

リピーティングとシャドウイング

意味を持たせながら音読していくことで、英語の意味を把握し、語順通りに認識する力をつける。更に、それはリスニング力の強化にも繋がると考えられる。

・精読
使用教材:速読速聴core2duo
音読パッケージと並行する。音読パッケージに使用する教材を100%理解することで、精読力をつけられるようにする。

・多読
Japantimes,timesに絞る。やはり、一定の量の英語に触れるのは大事だと思うので、続ける。しかし、本を読むなどの負荷が高いことはしない。

・ボキャビル
使用教材:究極の英単語 LV.3~LV.4
方法
①単語帳を今までの方法で回し続ける。
1週間で500は頭に入る。夏休みは9週ぐらいはあるんだから、4500個は出来るはず。夏休み終るまでにこの単語帳は一通りできるな…
②オリジナル単語帳づくり
分からない単語に出会ったら『私の暗記帳』に入力し続けよう。

英語学習の目標(私的)

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とりあえず、英語の勉強を本格的に始めていきたいと思うんですけど、さしあたっての目標を定めておきたいと思う。やる気を保つには、短期的な目標と長期的な目標の二つを定めておけと財政学の教授も言ってましたしね。

「短期的目標」

とりあえずTOEICで860点を超えることかな。英語学習の目的としては結局色々なところから情報収集できて、コミュニケーションも一通りとれちゃうってことなのでね、Reading力、Listening力をある程度測れるTOEICを目標にするには良いんじゃないかと思うのです。860がTOEICスコアでの上位クラスの指標みたいな感じらしいことと、今は730点あることを加味すると、まぁとりあえずの目標は860とることでいいんじゃないかなと。

で、ここで重要な縛りだ。それはTOEIC特化型の勉強をしないことだ。あくまで目的は幅広い媒体から情報収集出来ることや、外国の方々が言っていることが分かることだ。よって、TOEIC型の勉強ではなく幅広く勉強していく事が求められていくだろう。よって、単語帳としては『究極英単語シリーズ』『速読速聴シリーズ』を用いていく。これらは、TOEICTOEFL、英検、CNN、BBCなどなど様々な媒体から英単語を引っ張ってきていて、自分の目的にあっていると思う。

「長期的目標」

やっぱり、英語でストレス無く情報収集できるようになることかな。日常的にCNNやBBCを読んで、解釈できるようになれればある程度目標達成でいいのではないかと。

そして、もう一つは海外の方と会話できるようになることかな。これは適当にSkypeで引っかけてもいいし、せっかく大学生なんだからコミュニケーションルーム的なところを利用してもいいし、とりあえずある程度コミュニケーションがとれるようになれればいいかな。今のところ、しゃべる方は絶望的な感じなので。

 

小活

とりあえず、860目指して頑張って行こうかな。まずは単語力だね。暗記作業は辛く苦しいものなので、続けるための妙案を思いつきました。単純ですけど、人に毎日テストしてもらおうかな、と。覚えて来てなかったらビンタみたいな。とりあえず60個ぐらいから始めてみようかな。

『恋文の技術』森見登美彦

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手紙っていいな、って思わされる。

 

本書は今大人気?の森見登美彦さんの書簡形式の本である。冒頭から主人公の守田は地方の研究所に島流しにされているのだが、そこから様々な知人に手紙を送り、恋文を書くための技術を磨いていく。それは、何だかんだと理由をつけているが伊吹さんという意中の相手を落とすためだ。その手段に手紙を選ぶところがまた、面白いよね。

 

上述したように本書は書簡形式である。しかも、差出人=主人公の手紙しか掲載されていない(一部例外もあるが)。これが本書を特徴付ける点だと思うが、これがそこそこ面白かった。というのも、受取人=主人公の手紙が無くとも、どんな内容のものが来たのかがなんとなーく分かるようになっていて、想像力が掻き立てられる。それが楽しかった。

「手紙を書くということ」

本書でずーっと物語進行の担い手となっている手紙、これがとってもいいなと思わされたのである。

というのも、手紙はやはりメールやLINEとはまた違ったコミュニケーション手段だと思うのだ、当たり前のことだが。

手紙には書いている時間、送りに行く時間、受け取るまでの時間、それぞれに圧倒的な「間」があると思う。この「間」というのが手紙とメール、LINEとの大きな違いだろう。LINEだとちゃっちゃと書いて、ポチッと押せばすぐ相手に伝わって、相手もそれは一緒だからすぐ返事も帰ってくる。しかし、手紙は全くそうではない。あらゆる行程に時間がかかってしまう。

それでも、それは必ずしも悪いことではない。書くのに時間がかかる分、相手へどうしたら想いが伝わるのかを思考錯誤していくもので、とても相手のことを考える時間だと思う。そして、手紙を投函してからも相手がこれを読んで「どんなことを思うのかな?」とか「どんな返事が返ってくるのかな?」とか、様々なことをずっと考えて、どきどきするだろう。何というか、こういう時間ってのはとっても豊かな時間だと思うのだ。

そして、こういう独特の「間」が存在することが、相手に文面以上の想いを伝えるのだと思う。手紙をわざわざ用意してくれたんだろうなとか、時間をとって書いてくれたんだろうなとか、ポストまでわざわざ持って行ったんだろうなとか、書き始めからポスト投函までの様々なストーリーが文面以上に想像されるのだと思う。

主人公はこういう性質を持った手紙を駆使して様々な人と関係性を取り持っていくが、うむ、非常に楽しそうだった。

自分も1人とくらいやってみたいものだ。

帰省だー!!

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明日の朝4:30から長距離ツーリングへ行ってまいります!(画像は拾い物)

初めての長距離ツーリングなので何が起こるやら、どきどきもんですね。

関西から四国まで行ってきます。

 

 

久しぶりである

ようやく夏休みに入り、生活も落ち着いてきたのでブログを再開してみようと思う。

しかし、つくづく自分はマルチタスカーではないことがこの20年間あまりで明らかになっているので、これもいつまで続くか…。

昔っから一つのことにしか集中できないんですよね。英語の勉強なら英語の勉強。サークルならサークル。どれか一つに集中すると、他の事がないがしろになってしまって結局中途半端になるんですよね。色々なことが継続的にできる人は昔っから尊敬の対象です。

 

ところで、もう3回生になってしまったんですよね…。つくづく早い。

高専を中退して2年浪人して大学入って、気づけばもう就活ですよ。そりゃ年もとりますわな。

 

president.jp

 2年半ほど大学生活を続けて来て思ったんですけど、現代における大学ってなんの意味があるんですかね。どんな役割を持っているんですかね。

周りを見ていると、常に意識を持っているのは「より良い」就職で、大学の講義なんてそっちのけです。意識にあるのは単位を取ることであって、学問的な面白さではない。だから出席点がなければサボってしまうし、テスト前にしか勉強しない。勉強と言えば、TOEICTOEFL、会計士の資格勉強ばかりですね。

大学も大学で、少子化による若者の減少によって学生側のニーズに迎合しようとしている姿勢が見受けられます。キャリア教育や資格試験に寄った講義を行い、就職支援のための施設に資金を投入しています。大学のホームページには就職率・就職先が必ず掲載されており、そこからも学生(=消費者)への迎合の姿勢が見て取れます。

自分としては大学は学問をやる場所だという思いがありました。しかし、多くの人にとっては大学はそのような場所ではないようです。もちろん、自分と同じ思いを抱いている人は存在しますが、それはごく限られた人数です。大学という場所は今後どうなっていくのでしょうか。とりわけ就職に直接結びつかない文系はどうなっていくんでしょうね。

 

『科学者たちはなにを考えてきたか-見えてくる科学の歴史-』小谷太郎

 

科学者たちはなにを考えてきたか (BERET SCIENCE)

科学者たちはなにを考えてきたか (BERET SCIENCE)

 

  珍しく自然科学っぽい本。けれど、自然科学の発展を歴史的にたどった本なので、そんなに自然科学科学していない。数式なんかほとんど出てこず、非常によみやすい。一方で、アインシュタイン相対性理論ポアンカレのカオス理論等々、科学の発展に大きく貢献したような定理が掲載されており、ここの解説がないがしろにされすぎておらず、ほどよく頭を使わせるものであった。つまり、簡単すぎることもなく、難しすぎることもなくといった感じである。もっと詳細にいうなら全くの中間ではなく、簡単寄りではあるが。

 良かったのが、天才科学者達が中心軸となって話が進んでいくのではなく、あくまで科学の発展が軸となっていることである。科学者達の詳細な生涯も気にはなるが、科学が古代ギリシャから現在に至るまでどこまで規模が広がったのかの方が気になっていたため、自分には合っていたのだと思う。このような内容の本であるから、同じ科学者でも、時系列順にただ並紹介しているだけでなく、科学の発展段階に応じて前ページに紹介した科学者がまた出てくることがある。あくまで、科学発展が中心軸に据えられていることがうかがえる。
意外な収穫だったのが、サークルの研究に役立ちそうな部分があったことだ。フォイエルバッハ論や社会科学における認識の客観性などを読んでいるとたびたび出てくるのが、唯物論だとか観念論、○○的自然観などよく分からないワードである。こうしたワードに出会う度に調べてはみるのだが、いまいちしっくりきてはいなかった。今回、本書では唯物論、機械論的自然観について記述があった。機械論的自然観、唯物論は似たような概念で、科学と理性に全幅の信頼をおき、それを使ってなんでも解いていけるのだというものらしい。霊魂や精神などというものを認めず、生命は全て原子から構成されており、神秘的な物は存在しえないといった主張を含む。そして機械論的自然観については、現在起きている事象は、過去の原子の配列、運動の結果であり、あらかじめ決められていたことであるといった主張を含む。よってそれが全てわかる知性があれば、原理的に過去も未来も計算によって分かってしまうといったものである。ちなみにこの知性を、ラプラスの魔と呼ばれているらしい。
 こうした思想が出てきたのには、曖昧で間違いだらけであったアリストテレスの科学からニュートンの美しく単純な数式であらわされた科学が台頭したことにある。アリストテレスが説明できない現実を、ニュートンは華麗な数式をもってして解決してしまい、それに科学者たちは世界を数式で読み解いていけるといった自信を持ってしまったからだそう。
 こうした背景を踏まえて、機械論的自然観、唯物論といったワードを捉えるととても自分の中で腑におちた気がした。どうして昔調べてた時は分からなかったのだろうといった思いである。きちんと背景を踏まえたうえでワードを捉えるというのは、自分の中に網を作って、それにどんどん絡めていくということなのだろうと思う。自分は世界史も日本史もやっていないため、その辺がコンプレックスになりつつある。せめてせめて、現代日本の経済史くらいは抑えておかなければ経済学部生としても社会科学サークル員としても今後支障が出る気がする。